尺八の世界では、自分が常用する尺八のことを
「持ち竹:もちだけ」と言います。
何本も持ち竹があれば安心なのでしょうけれど、好みや慣れ、使い勝手などで、そうそう簡単に持ち竹が決まるものではありません。
また手作りの楽器で材料も天然の竹ゆえに個体差が大きく、気に入る楽器が簡単に見つかりはしません。
1本の尺八に慣れて、”持ち竹”にしてしまうと、演奏者自身も楽器に合わせていく傾向があるからか、この”持ち竹”を取り換えるのは至難の業だったりします。
長年慣れている楽器なりの癖に演奏者が適応して合わせている部分もあります。
身体に密着させて演奏する楽器ゆえ、楽器個々に対する慣れがとても重要なファクターでもあります。
ということで、今日は僕のこれまでの持ち竹をご紹介します。
手前から新しい順(近年の持ち竹)で並べました。一番左が最も古い尺八です。
①一番左:中学生~芸大入学まで吹いていた尺八
②真ん中:1983年に芸大入学直後~2000年頃まで吹いていた楽器
③一番右:2000年頃~現在のメイン尺八
うちの親父:石倉央山に言わせると、一番古い僕の持ち竹はあまり良くないとのことでしたが、先日久しぶりに引っ張り出して鳴らしてみると・・・確かにあんまし良くなかった^^;
のですが、数時間・数日吹き込むに連れて、だんだん鳴らしやすくなってきました。
最大のメリットは、とにかく手前2本に比べて格段に軽いこと。
ずっしりと重たくて繊維がビッシリ詰まっている竹の方がおそらく良く鳴るのでしょう。
少なくとも手前2本の方が楽器そのものの響きが深いのも事実です。
が一番奥の古い持ち竹は軽くてとにかく疲れないのですよ^^;
ということで50歳目前にして、少しは楽をさせてもらいたいなぁ~と思ってますので、暫くの間こいつと久しぶりに付き合ってみようと思います。
意外に細かったので、顎当たりを自力で盛りました(爆)
かなり豪快に顎当たりを盛ってますw
芸大を出て、ほんの1年だけ製管を習ったときに若気の至りであれこれ改造してしまった痕跡があります^^;
この楽器を自分であれこれ改造していた頃、芸大修士課程を出た直後で、山本邦山先生宅に頻繁にお邪魔していた時期だったので、邦山先生の尺八を模倣して一番下の蕪だけ残して坊主にしたりしましたが、そのあとに都山流宗家道場で見た広岡倭山さんの尺八の管尻の加工(尾崎沢山さんがやっていた)に感化されて、こんな加工をしてしまいました。(爆)
音としては全く無意味な管尻の坊主加工でした。やめときゃよかった・・・
やたらめったら焼印推してます(汗)
さて、しっかり鳴ってくれるかな?